プロフィール9 話し方の勉強


他人中心から自分中心に プロフィール8から続いています。

スリーインワンの
トレーニングを進めていくと

「私は この ありのままの自分でいい」

という自分感覚を取り戻しました。

・・・

日本各地から集まってくる仲間と
話していったり

自分を解放していくと
生まれてはじめて
素直になりました。

☆彡

そうして修練を積み重ね
ファシリテーターの資格も得て

上級ファシリテーターの資格を得るために
アメリカまでひとりで飛んでいきました。

☆彡

アメリカのLA郊外のバーバンクに
2週間滞在して
まるっきり英語の周波数に合わせて
過ごしました。

☆彡

帰ってきたら、日本語が
わからなくなりました。

・・・

ぃゃ、日常会話は、できるといえばできるけど。

英語脳になってしまい、

英語は 物事を 結論から話すので
脳の思考の作りが そうなってしまったんです。

・・・・・

帰ってきたら

日本の、特に、

京都みたいな、
ものごとをはっきり言わない日本語・・・。

どんな風に話したらいいの?

と 途方にくれました。

***

その時、TVの対談番組や 落語家の噺は
非常に役立ちました。

   その頃、見ていた古典落語は
わたしのセッションの
基本形にまでなっています。

彼氏ができる プロフィール10に続きます。

プロフィール8 他人中心から自分中心


身体に話しかける プロフィール7からの続きです。

はじめは
自分のからだと対話するだけでした。

10年近く一人で
自分の身体と対話をしていて、

ある時 セラピー「スリーインワン」と出会いました。

 

スリーインワンとは
筋肉反射テスト(キネシオロジー)を使った、
トラウマ解放のヒーリングセラピーです。

・・

ヒーリングを勉強したいと思っていたある時
「スリーインワン」のセラピーに出会い、
勉強し、国際資格をとりました。

日本各地にセラピー仲間がいて、
日本中に友達ができました。

また、アメリカに本部があり、

一度、ひとりでアメリカの本部まで一人で行き、
ハイレベルのセミナーを受講しました。

スリーインワンを始めた頃には

実家の家業の従業員との関係はだいぶよく
なっていました。

精神世界の勉強を通して
従業員の方ひとりひとりを深く観察していき
少しずつ受け入れていった結果

ほとんどの従業員のかたとの
衝突が薄れていきました。

****

スリーインワンをやって
改善したのは、
家族との関係でした。

わたしにとっては

「社員の皆さんとの関係より
家族との関係のほうが困難」

と感じていました。

社員のみなさんとの関係をある程度
こなしたタイミングで、家族との関係に
向き合っていきました。

 

スリーインワンを始めて一番に感じたのは
「家族愛」って「痛い」

「痛い」というのは別の言い方で言うと

厳しいと言うか、あたりが強いと言うか。

どうしてそうだったのか、というと

まず、初めに
その時期のわたしには
「自分の感覚」というものが
「ない」

っていうことに気づきました。

**

「わたしの」感覚がなかったのです。

**

わたしのなかに あったのは

「母が」「姉が」「父が」
なになにしろと言うから、
なになにがいいと言うから
というような感覚

まるで

家族の好み嗜好を生きるのがわたしの人生

とでもいうような感覚でした。

誰にも言われていないのに

「母だったら」「父は」と 考えるのです。

そういえば小学生の頃

「ひとがどんな時にどんな反応をするか、
さっぱりわからない!」

と 苦悩していました。

人から苦情が出なくなるには

どうしたらいいのか、

人から喜んでもらえるには

どうしたらいいのか、

さっぱりわからなくて。

ひとを喜ばせようとして

ひとを喜ばせられたら

自分の値打ちはあって

他人を喜ばせられなかったら

自分の値打ちはない。

とまで思っていました。

わたしは聴覚障害だったので、

一生懸命耳を澄ませて話を聞いてきました。

その結果

自分を横に置いて、自分をゼロにして

ひとの話を聞くということを

しなければならなかったのです。

ですから

自分の中心が 自分ではなく

家族の声

になってしまったのです。

***
*****
***

スリーインワンの
トレーニングクラスを

受け始めた最初の頃に

それに気づいて愕然としました。

 

そこで毎日「自分」という感覚を

取り戻す練習をしました。

朝起きると、どの服を着るか?
食べるなら、何を食べるのか?

その選択するたびに 自分自身と語りながら決めました。

そうすることで

自分自身の感覚を取り戻す、練習をしました。

本当に毎日練習をしていました。

そうして少しずつ自分の感覚を取り戻していきました。

・・・・

身体の声、だけではなく、
自分の声がわかるようになるレベルで取り組んでいました。

話し方の勉強 プロフィール9に続きます。

プロフィール7 からだに話しかける


初めての友達 プロフィール6から続いています。

生け花の学校を卒業したあと、
生け花の先生をやるのは
無理だとわかっていたので

親の仕事の、家業でもある 着物の反物の
染めと張り(糊付け加工)の会社に入りました。

そこにいた従業員の人々は

わたしより一回り以上、年上のひとばかりでした。

海千山千の おばさん おじさん ばかりで。

当時二十代のわたしは 身体も心も弱かったので

仕事を他のひとと同じようにこなしていくのに
二、三年は かかったかと思います。

肉体的にきついので なかなか身体がついていけませんでした。

 それで

わたしは 自分の足の裏を揉んだり

腕の筋をさするだけでは 足りなくて

夜、眠る時に、自分の身体に
話しかけるようにしていきました。

・****・

何年だか 何ヶ月だか しているうちに

体への話しかけに 対して
 身体が応じてくるのが
わかるようになりました。

・・・・*・・・・

 特に 物凄く疲れた日の夜に
眠る前に 話しかけて お礼を言うと
翌朝 そこが楽になっている!

ということに気づきました。

・・・*・・・

長年、自分で自分のことを「信用できない」とか
言って けちょんけちょんに
切り刻んできたので

元々 あまり強くない身体を
自分で弱くしていたのかもしれません。

 *

それで ほぼ毎晩眠る前に
身体さんに 話しかけるようにして
すごしました。

それが二十代の中頃のことで
その身体さんとの対話は
ずっと今日まで三十年近く続いています。

・・・*・・・

身体への話しかけは、だいたい
身体さんに 謝ったり お礼を言ったり
お願いをしたりしています。

・・・+・・・

それまで 自分自身をあまりに

ばかにしたり 粗雑に扱って

自虐の限りをつくしてきたので

身体との対話は 本当に必要だった と 思います。

・・・+・・・

自分で自分を ばかにしていたんですよ。
だからなんですよ。
その昔、その当時は、家族からも
ずいぶんばかにされてきました。

聞き違えしたことなんかも
笑われましたねー。

家族が悪いんじゃないんだ。
自分が 自分を ばかにしてきたからなんだ、
ということが
今は わかります。

・・
自分の心の中の、自分への態度が
外の世界へも反映します。

 

・・・+・・・
その、 物凄い いきおいで
自分で自分をばかにし続けてきた。

・・・・

それを挽回する方法として

身体に話しかけ

自分自身を いとおしむ、
自分自身を いたわり、ねぎらう

・・・この 自分の身体へ話しかけ、自己対話する
という 自分を愛する方法はこんにちまで
 ずっと続けています・・・

他人中心から自分中心に戻る 身体の声が聞こえる訳8に続きます。

プロフィール6 初めての親友


愛されていない? プロフィール5から続いています。

「人生、なかず飛ばず」の心境で
勉強もできなかったし
高校三年生の時に受験した短大は落ちたし。
かといって、どこか行きたい所もなかったです。

 

・・・*・・・

そんな中でも集中していたことがありました。

映画鑑賞です。

高校時代から二十代には映画を山盛り見ていました。
アカデミー賞を受賞した作品のリバイバル上映があれば
見に行きました。

色々な人生、色々な愛の形を無意識に
見て学んでいたようです。

本は「不思議の国のアリス」と
「鏡の国のアリス」を読みふけっていました。
「潜在意識」と 心理学でいう「影」のことを
無意識に学んでいました。

・・・・・・

高校を卒業し、
生け花の専門学校に通い、
そこでも劣等生でした。

剣山に花を挿しても、私が挿したら、
花は倒れるのです。
他の生徒は みなきちんと挿せるのです。

剣山に花を挿すのがかわいそうだと思って
挿せなかった のです。

あんな ぎざぎざの針のようなのがいっぱいある
剣山に 花を挿す、なんて・・・。

「痛いことないんかぁーー?」
と、花に向かって 心のなかで言っていました。

・・・・・・・・・・・・・・

でもマイナスだけではありません。

そこで

初めて友達ができました。


親の事、家の事の 「ぐち」を
なんでも、こぼしあえる友達ができました。

・・・・・・・・・・

映画の好みも 何もかも違うのですけれど、
その違いを お互いに 面白がりながら
関わっていました。

わたしはその友人との交流で
初めて 人と関わることができるようになりました。

****

途中でその友人とは感覚が変わってしまい、
12年ほどした頃に、合わなくなり、
そして会わなくなりました。
でも、その友人には感謝しています。

・・・・・m(__)m・・・・・

身体に話しかける プロフィール7に続きます

「心配性のママ」の愛情~感情と脳の仕組み(5)


今日は「心配性のママ」の方々が
どうして心配しすぎになるか?
っていうことについて書いてみます。

☆彡

感情と気持ちと思いの違いについて
以前書きました。

http://rainbowlife.halfmoon.jp/wp/2016_11_25_brain02/

この↑↑↑ページだけは特別ご覧になられる回数が高いので、
おさらいします。

昔から 私は 「感情」と「気持ち」と「思い」は違うと
思っていたのですが、それをごっちゃにしている人が結構
いらっしゃって。
だから、「感情」を感じて解放すると言いつつ
めっちゃネガティブな思考をしていたりするのです。

感情は 言葉になるかならないかの 心の感情です。
それこそ赤ちゃん・小さい子でも持っているもので、
シンプルな 大好き!
シンプルな いや!
シンプルな なぁに? などです。

そこには疑いとか 誘惑とか ありません。
あまり言葉を介入させないハートのエネルギーです。

☆彡

気持ち は 気を持つので、
心のなかで
感情をころがして「こんな気だな」というのを持つ
感じです。

言葉を使うようにはなっています。
どっちかというと、ひらがなの「きもち」

うれしいー、
たのしいー、
こわいー、
おこるぞー、という
まだ 比較的シンプルなものです。

☆彡

「気持ち」のことばの前に
「きゃー」とか「もう」とかをつけるとわかりやすいです。

「きゃー、うれしい」
「きゃー、たのしい」
「きゃあー、こわい」
「もうっ、おこるよーー!」

気の重さ軽さなどを感じます。

☆彡

「思い」になると、「おもい」なだけに
ちょっと「重い」ものになります。

笑(ダジャレやー!でもわかりやすいやろー)

☆彡

「気持ち」が「気を持って軽い重い」を感じるとしたら、
「思い」は「重い」です。

感じている感情がつよすぎて、
気持ちも感じすぎて、心の奥でころころころがしているうちに
転がしきれず、思考とか方向性がねじれてきます。
何度か反芻していくうちに、深まっていきます。

☆彡

この思いが深まっていくと、どんどん思考化していくんですよ。

親がこどもを愛しているのに、なぜか、その愛情は心配へと
変わっていきます。

その「心配」は頭を非常に使います。
そして気を病み、胃を荒らします。
脾臓も弱らせると聞いたことがあります。

「心配」の根っこにあるのは「純粋な愛」なのです。

しかし、

「心配」も重なると、いちいち心配して、心が揺れるのが
いやだから、「防衛」しだします。

どうなるか?と言いますと
「もうどうせ、うちの子は、
 根性なしの あかんたれ やから 仕方ない」
とか
「どうせ、うちの亭主は、
 〇〇だから 仕方ない 稼ぎはXX」
などと、
くさしだすのです。

めちゃくちゃ 口の悪い、言霊の悪いようなことを
心の中でぶつぶつと 文句言い出すのです。

それは
愛情がありすぎて、心配しすぎて
おかしくなるのです。
しっかり信念をもって、確個たる自分の中の
愛情を信じていればいいのですが、

愛していることが辛くなるのか?
相手をやりこめるようなことを考え出すのです。

ひねくれているのです。

☆彡

素直に愛している、大事に思っている、と
表現すればいいのですが、
そういうことばの文かで育ってきていない為、
愛情が深ければ深いほど、それは底なし沼のように
どろんどろんになって、
変な愛情になり、相手をけなし出すんやなぁ。

☆彡

関西のお笑いの、吉本だと、
けなしていても、声が明るい。
すごくはっきりと明るいトーンでけなすので、

言葉はけなしてるけど、
本当は逆で、本当はめっちゃ愛しとるぞ、
というのが 現れているので、わかるんですよねー。

だから、観客の皆さんは どっと笑うんですよねー。

(^o^)/♪♪

☆彡

心配は 頭を非常に使っているんですよ。
気と頭をくさす方向に使っているんですよ。

(+c+;)
(*c*;)

☆彡

また、心配のしすぎは、老け込みさせます。
美容にも悪いですよ。

☆彡

心配の根っこにある「愛情」を素直に出せばいいんだ、
ということなんですねー。

おわかりいただけましたかーーーー?

☆彡

私は「感情のソムリエ」と昔、言われたことがあります。
<(`^´)>
「じゃあじゃあ、この感情はどういうことなの?」
と ご質問がありましたら、ぜひコメント欄にどうぞ!

ブログの写真を変えてみました。


ずっとtopの画像がかわいらしいピンクの薔薇でした。
変えてみたかったのですが、どうやって変えるんだろう
という感じでした。

昨日、たまたまこういうのにしたいなぁという
映像写真がみつかったので、
それを加工して大きさに合うように加工して

アップロードしてみました。
なんかかんやと やっていけば、アップできました。

やりながら、ほぉー、こうやって加工するのかぁ
と 発見しました。

プロフィール5 愛されていない?


耳 プロフィール4から続いています。

「わたしは 他の子より できがわるい」
と 思っていました。

耳の聞こえが悪いと、教室にいるだけで神経を使い
先生の話し声よりも
自分の頭の中の「あせっている自分の心の声」の
方が大きいくらいです。 

頭の中で考える「思考」は 耳のなかで聞こえるのと
同じ部分をつかって 響いてきます。

わたしは自分のなかの不安感の声をたくさん聴いてきました。

今でいう「パニック症候群」の症状
そのものを当時、経験していました。

成長して高校時代になると 自分で
「自分ほど 信用できない者は いない。
だって自分のことなのに、自分がわからないからだ」

と考えていました。

そんなことを考えていては、余計に他人の声など
聞こえるはずがありません。

 ・・・・

「あれができない。これもできない」
と 自分にできないことや 欠点ばかりを
 指折り数えていました。

・・・・・

できることもありました。

・・・

絵を描くと うまい と言われました。

5才の時から「児童絵画教室」に通っていたのですが
10才の時に
教室の引越しでやめなければいけませんでした。

やめてしまうと
絵の先生の アドバイスや 見てくれるのが無ければ
はりあいがなくて、やめてしまいました。

・・・・・・・・

いつごろからか、まだ十代なのに
年寄りじみた思考回路になっていました。

・・・

どんどんマイナス思考になりました。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

17歳のある時

「自分は親から愛されているのだろうか」
と ふっと思いました。

・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・

その時、私は商業科の高校に通っていました。

母親は わたしが行きたかった
普通科の高校を受験させてくれなかった
ということを考えていて、

ふっと

「母は私を可愛い子だと
思っているのだろうか?」
と思った時

「愛されていない気がする」という気持ちと

「そりゃ、勿論 愛されているよ」という気持ちの両方を

思いました。

どっちが本当だろうか?

と思いました。

その時「愛されていない」という視点で見てみて
それから「愛されている」という視点で見て
それで
決めたらいいんじゃないのか、


と 17歳の ある時、思ったのです。

・・・・・・・・・・・

今にして みれば

親から愛されているか愛されていないか
「決める」って 何じゃいな!
それは「傲慢」だよ~!

「愛されてる」が答えだよ!

です。

・・・・・・・・・・・・・・・

「愛されていない」側から見ると決めた時、
その17歳から
53歳まで
ずっと 愛されているんだろうか、と
思い続ける日々でした。

(++)(++)(++)(++)

自分のなかの劣等感コンプレックスと
愛されていない感とが まじり合って
暗くて 長いトンネルを えんえんと くぐりぬけていた日々でした。

+++++
30代でセラピーに出会って解放されていき、
40代で彼と出会って結婚もして、
その時も その「親から愛されているのかトンネル」は
続いていました。

そのトンネルから出られたのは、

53歳の春に某起業塾で「自分史」を書いていた時です!

書いていて突然

その17歳の時のことを 思い出したのです。

・・・・・

わたしが 17歳の時に

「親から愛されているのかなー」と思って

「愛されていない」側を選んで

それからずっと「愛されていない」ということを
前提にして 物事をみてきたからなんだ・・・。

これを思い出して気づいた時

衝撃でした。

「私って、どれだけマヌケなの?

・・・これって

自分で自分の人生を

マイナス方向に向けただけではないか!!!」

・・・・・・・

本当に53歳で思い出してよかったです。

・・・・・・

「愛されていない」側から見ると決めた時、
その17歳から
それを思い出す53歳まで
ずっと 「わたしは母から愛されているんだろうか」と
思い続けていました。

・その「不信感」があるから・

そしてどこへ行っても
「私はここにいて、いいんだろうか?」と
考え続けていました。

相手の問題ではなかったのです。

自分が作り出したことだったのです・・。

もっと 早く思い出せたらよかったのですが。

・・・・・・

両親には 今は本当に感謝しています。
このような 思い違いもはなはだしい娘を
よくぞ、懲りずに
あきらめずに育ててくれたと感謝しています。

初めての親友 プロフィール6に続きます。

プロフィール4 耳


妹の顔をひっかく! プロフィール3から続いています。

わたしは子どもの頃から聴覚障害があります。

補聴器をつけていない時は
ふつうの人の 5分の1 くらいの
聴力しかありません。

補聴器をつけていても
ふつうの人の聴力の 半分です。

*◇*

でも 個人セッションのように
静かな部屋でお話したり、

スカイプでヘッドフォンを使って
話をすることはできます。

それに、もし聞こえなくても

その時に

わたしが「今のところが聞こえなかったから
もう一度話してくださいませんか?」と
尋ねますので、大丈夫です。

心配は いりません。

・・・

こんな質問をいただきました。

「由理さんは、耳が悪いのに、なぜ人の話を聞く
このお仕事をしようと思われたのですか?」

・・・

それは、やはり、疑問に思われるでしょうか。

「聞こえないなら、聞かなければいいじゃない」
って、普通の方は 思われるんでしょうか。

・・・・
・・・
生きている限り、人と人は 会わねばなりませんし。
人と人は 話して 分かり合っていかねばなりません。

・・・・・

でも聴覚障害で、ひとの話は聞きとれないことが多いから
こころの交流が なかなかできませんでした。

子どもの頃は補聴器を使わなかったので
相手の話が聞きとれませんでした。

相手の言ってることがわからないから
何度も聞き返したりすると
時間もエネルギーもいっぱいかかり、
相手も私も疲れてしまいます。

だから
友達がほしいとか
心をうちあけあったりしたいと思っても
無理なんだ、と 思い込んでいました。

いまだったら、特別支援の学校に行く
という選択も思いつきます。

でも

当時両親は 普通の学校で一番前の席に座ったら
先生の話をがんばって聞いたらいい、と
思ったようです。

私も自分でも
 「なんとか 普通の 
他のこどもと同じようにならなければ~」
と思っていました。

先生の声は、先生が教壇にいる時は聞きとれるけど
教室をうろうろしたら もう聞こえないし。

教室じゅうの同級生の声は わかりません。

当時の補聴器の性能は最悪で

人の話し声より雑音の方が
大きく響くので
とてもつけていられませんでした。

同級生に はやしたてられても

「聞こえてるもん!」

と 言ってました。

(今やったら あほか~ です。
はやしたてる側も
聞こえてるもん!と言う側も

どっちも あほですわ


素直に 仲良くせぇ、と今だったら言います。)

強がることしかできませんでした。

でも「自分が聴覚障害がある」ということを

受け入れるのも時間がかかりました。

30代の中頃になってやっと
自分で自分が聴覚障害があるということを
認めることができるようになりました。

そして大事なことは

「聞こえにくいからこそ、対話を求める」

ということです。

☆彡

「聞こえにくいからこそ、

相手が本気で言っている言葉でないと
響かない。聞こえない。

ということです。


今は 性能のいい補聴器をつけています。

・・・
愛されていない プロフィール5に続きます。

プロフィール3 妹の顔をひっかく


誕生! プロフィール2から続いています。

2つ年下の妹が生まれた時のことは
覚えていませんが

妹は お人形さんのように可愛かった
ので 妹のことは私にとって自慢でありながら
なかなか手に入れられないものを
すぃすぃと手に入れていく妹が羨ましかったと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・

いつしか 
自分のなかにある「ほしい」という気持ちを
我慢して物凄い力で抑え込んでいた私にとって

無邪気に ほしいものをほしいと言い、
すぃすぃと 引き寄せていく妹が
羨ましかったです。

妹は あの忙しい大人たちに 褒められ、
そのまま受け止められる・・・。

(私が素直に「ほしいものをほしい」と
言えなかっただけなんですけれども。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしと姉は 大人たちから
「忙しいから あっちへ行くように」と
言われるのに・・・。

・・・・+・・・・

ある時

妹が、駄々をこねて
ものすごく私をいらつかせました。

(具体的には何があったのか、覚えていません)

神棚のすぐ下のところで
わたしは 妹の顔を ひっかいたのです。

・・・・*・・・・

ひっかく前に わたしは やってはいけないことだ
と わかっていながら、
なにやかや イライラして

妹に対して 腹がたって 腹がたって

妹の顔を ひっかきたくてたまらなくなり、

・・・・・

ひっかきました・・・。

・・・・・

ひっかく瞬間
わたしは どんな悪いこと、と知っていても
そうせずにいられなかった。

・・・・・・・・・・・・・

わたしは怒られました。

あまり 覚えていません。

・・・

・・・

妹の顔に 傷跡が残りました。
それがほんの少しだけで
わからぬ程度ですんでよかったです。

・・・・・・・・

そのことがあってから
わたしは こんなことをしたんだから
悪い子だ、と
 自分で自分を追い詰めるように
なっていきました。

自分で自分が許せなくなったのです。

・・・・・・・・
この、子どもの頃の葛藤はセラピー・カウンセリングを
学ぶ過程で解消し
今はもう手放しています。

・・・・・・・

・・・

耳 プロフィール4へ続きます。