妹の顔をひっかく! 身体の声が聞こえる訳3から続いています。

わたしは難聴で、耳の聞こえが悪く
補聴器をつけていない時は
ふつうの人の 5分の1 くらいの
聴力しかありません。

補聴器をつけていても
聴力は ふつうの人の 半分です。

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こんな質問をいただきました。

「由理さんは、耳が悪いのに、なぜ人の話を聞く
このお仕事をしようと思われたのですか?」

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それは、やはり、疑問に思われるでしょうか。

「聞こえないなら、聞かなければいいじゃない」
って、普通の方は 思われるんでしょうか。

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生きている限り、人と人は 会わねばなりませんし。
人と人は 話して 分かり合っていかねばなりません。

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でも聴覚障害で、ひとの話は聞こえないから
こころの交流が なかなかできませんでした。

相手の話が聞こえないから、相手の言ってることがわからないから
とんちんかんな やり取りをしてしまいました。

だから
友達がほしいとか 心をうちあけあったりしたいと思っても
無理なんだ、と 思い込んでいました。

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いまだったら、特別支援の学校に行く
という選択も思いつきます。
でも
当時両親は 普通の学校で一番前の席に座ったら
先生の話をがんばって聞いたらいい、と
思ったようです。

私も自分で なんとか 普通の 他のこどもと
同じようにならなければと思っていました。

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先生の声は、先生が教壇にいる時は聞こえるけど
教室をうろうろしたら もう聞こえないし。

教室じゅうの同級生の声は わかりません。

当時の補聴器の性能は最悪で 人の話し声より雑音の方が
大きく響くのでとてもつけていられませんでした。

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同級生に はやしたてられても

「聞こえてるもん!」

と 言ってました。

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(今やったら あほか~ です。
はやしたてる側も 聞こえてるもん!と言う側も
どっちも あほですわ)

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強がることしかできませんでした。

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でも「自分が難聴である」ということを

受け入れるのも時間がかかりました。

そして大事なことは

「聞こえにくいからこそ、対話を求める」

ということです。

「聞こえにくいからこそ、
相手が本気で言っている言葉でないと
響かない。聞こえない。

ということです。


今は 性能のいい補聴器をつけています。

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愛されていない 身体の声が聞こえる訳5に続きます。