妹の顔をひっかく! 身体の声が聞こえる訳3から続いています。

 

わたしは子どもの頃から聴覚障害があります。

 

補聴器をつけていない時は
ふつうの人の 5分の1 くらいの
聴力しかありません。

補聴器をつけていても
ふつうの人の聴力の 半分です。

 

*◇*

でも 個人セッションのように
静かな部屋でお話したり、

スカイプでヘッドフォンを使って
話をすることはできます。

 

それに、もし聞こえなくても

その時に

わたしが「今のところが聞こえなかったから
もう一度話してくださいませんか?」と
尋ねますので、大丈夫です。

 

心配は いりません。

・・・

こんな質問をいただきました。

「由理さんは、耳が悪いのに、なぜ人の話を聞く
このお仕事をしようと思われたのですか?」

・・・

それは、やはり、疑問に思われるでしょうか。

「聞こえないなら、聞かなければいいじゃない」
って、普通の方は 思われるんでしょうか。

 

・・・・
・・・
生きている限り、人と人は 会わねばなりませんし。
人と人は 話して 分かり合っていかねばなりません。

 

・・・・・

でも聴覚障害で、ひとの話は聞きとれないことが多いから
こころの交流が なかなかできませんでした。

子どもの頃は補聴器を使わなかったので
相手の話が聞きとれませんでした。

相手の言ってることがわからないから
何度も聞き返したりすると
時間もエネルギーもいっぱいかかり、
相手も私も疲れてしまいます。

だから
友達がほしいとか
心をうちあけあったりしたいと思っても
無理なんだ、と 思い込んでいました。

いまだったら、特別支援の学校に行く
という選択も思いつきます。

でも

当時両親は 普通の学校で一番前の席に座ったら
先生の話をがんばって聞いたらいい、と
思ったようです。

私も自分でも
 「なんとか 普通の 
他のこどもと同じようにならなければ~」
と思っていました。

先生の声は、先生が教壇にいる時は聞きとれるけど
教室をうろうろしたら もう聞こえないし。

 

教室じゅうの同級生の声は わかりません。

 

当時の補聴器の性能は最悪で

人の話し声より雑音の方が
大きく響くので
とてもつけていられませんでした。

同級生に はやしたてられても

「聞こえてるもん!」

と 言ってました。

(今やったら あほか~ です。
はやしたてる側も
聞こえてるもん!と言う側も

どっちも あほですわ


素直に 仲良くせぇ、と今だったら言います。)

強がることしかできませんでした。

でも「自分が聴覚障害がある」ということを

受け入れるのも時間がかかりました。

30代の中頃になってやっと
自分で自分が聴覚障害があるということを
認めることができるようになりました。

そして大事なことは

「聞こえにくいからこそ、対話を求める」

ということです。

☆彡

「聞こえにくいからこそ、

相手が本気で言っている言葉でないと
響かない。聞こえない。

 

ということです。


今は 性能のいい補聴器をつけています。

・・・
愛されていない 身体の声が聞こえる訳5に続きます。