前記事の続きです。

小学4年か5年の頃、国語のテストで
クラスで一番の点数「95点」をとったことが
あります。

それを持って帰って 母親に見せたら
喜んでくれなくて、それどころか
「なんで100点とれへんかったん?」
と言われた。

ということを 「禁止令解除」のワークで
振り返ってみることにしました。

だから私はとことん勉強しつくして
もうちょっとで いいとこ、次のステージや!
という時点で ぱたっと やめてしまう
ということを繰り返しているのではないか?

この時のことが 響いているのではないか?

と 思ったのです。

・・・・・・・

で、

「ここまでとれたんなら、
 なんで100点満点
 とれへんかったん?」
と、母に言われて、

「え」と 詰まってしまいました。

「え、だから、一個間違えたから」
と 答えたら

「だから、なんで ここ間違えたん。
 なんで100点満点と 違うの?」
と 言われて。

・・・・・・・うーん。

「そうか、満点じゃないと あかんのか」
と つぶやいた。

クラスの中でも

 いつも成績がよくて美人のあの○○さんや
 〇〇さんや〇〇さんよりも
 上の点を とったんやでー!

と その時 思いました。

(別に 〇〇さんと はりあっていた訳でもないのですけれど
 それくらい、自分としては 驚異的なことだと思ったのです)

でも 母は 自分がクラスで一番二番を争って
いつも一番だった、という自慢だったし、

それだけでなく、母の母(祖母)は
学年で一番だった、とか

その母(祖母の母)は、その当時でも
凄い女学校に通っていた、とかで、
そういう 頭のいい女の系統が続いている
ということでした。

だから、か、母は 
大学に行きたかったけど、
弟の手前、我慢して、
(母は祖母から頼まれたらしい。
 弟を大学に行かせるために、
 あんたは我慢してな、と)
その代わり、大学の事務の仕事をする
ということをしたんやな~。

だから 母は「勉強したかった」という
悔しい思いがあって、私や姉妹には
勉強しろ勉強しろと言い続けました。

・・・・・・・・・でもなー、
その母の気持ちもわかるがー

それは、無理と 違うかー。

私は はっきり言って 耳が悪いーーーー。

(今は補聴器を使っています)

学校の授業でも 一番前の席に座って
先生の話を聞いてはいるが、
先生の話さえ聞こえたらそれでいい、って
もんじゃないのです。

同級生の話は 半分以上 聞こえない。
もう 想像で聞くしかないのです。
すべては 空想で たぶんこう言うたやろなー
って 感じで 聞いていくしかありません。

それだからして、国語で 本を読む ということ
文章を読み込んでいく、書き込んでいく ということ
あとは 絵を描くしかないんやなーーーーーー。

特に 日本語というのは 聞くのが難しいです。
最後の最後まで しっかりと集中して聞かないと
言葉の意味が、
それまで話したことがひっくり返してしまいます。
最後まで気がぬけない言葉、なんやーーーー。

集中して 聞くのは 骨が折れます。

また、京都というところは、
思っていることと 話してることが違う
というところ!

そんな日本語としても ハイレベルのことを
日常的に要求されるところで、
また、耳が悪いというと、

こーれーはー、至難の業です。

どうやって、人間関係を作っていっていいか
わからない!!。

聞くだけで 相当耳に神経はりつめて、
それだけでは わからないから
目で顔をしっかりと見て、
相手の顔を受け取ろうとするのに

・・・

平気で? 私が子どもの頃の 京都人は
思っていることを そのまま口にするのは
はばかられる、とか いうて、

顔で 笑顔を作って、
なかで 何を考えてるか、わからへんーーーー!

それは もう 相当 苦労した。
それで いつからか、あきらめて
高校時代なんかは 真っ暗けなこころで
闇の洞窟の奥に ひっこんで すねて生きていた位です。

・・・・・・・・・・・・

話は もとにもどして

その「禁止令解除」のワークでは
その当時 母親に言えなかったことを 言いなさい、
っていうことで、ここに書いたようなことを
めいっぱい 言いました。

理屈よりも 感情にそって

できるだけシンプルに できるだけ心の中の

「私は怒っている!」
「わかってくれなくて悲しい!」
という気持ちのことばを言いながら 話しました。

話しているうちに、どんどん記憶がよみがえり、
どんどん どんどん
「わたしは どれだけ頑張ってきたかーーーー!」
っていう思いが わいてきました。

からだじゅうから
積み重ねてきた思い、エネルギーが
溢れてきて、
ぶるぶる ぶるぶる ぶるぶる
震えました。

これは、まだ続きますねー。