からだ通訳カウンセラー トラウマ解放セラピスト

柳澤由理です。

       ☆ ☆ ☆

この前 知人から 驚く変化が起こったという話を

聞かされました。

         ☆

色々な話でしたが、

簡単にまとめたら

今まできらっていた人がいたのだけれど

 

その嫌いな人も 自分の一部ではないか

と 思ったのだそうです。

 

そうして その嫌いなひとを 受け入れ始めた

のだそうです。

 

すると 仕事の面も 良くなり

私的な面でも 良いことが

次々に舞い込んでくるようになった

 

というのだ。

 

なになにの法則

の本でも 書いてあるようなこと

と 共通しているのだけれど

 

その知人の話は とても胸をうつ話だった。

 

「いままで自分は手の平だけ受け取ろうと

 していた。でも、

 手って

 手の平も 手の甲も あるじゃない?」

 

まぁ、確かにそうだ。

 

手の平はよく考えるが

手の甲についてはあまり考えなかったりする。

 

「手は 手の平だけじゃなくて

手の甲も あるんだ。」

 

「いままで

 自分の好きなものだけ受け取ろうとしてきた。

 ものごとって

 良い悪いじゃないっていうけど

 でも良いものだけ受け取ろうとしてきた。

 悪いのもその一部。

 良いも悪いもひっくるめた、全部まるごとを

 許そう、

 受け取ろう、と思った」

・・・・・・のだそうです。

 

そうすると、すべてが動き出した・・・のだそうな。

 

その話を聞いていて

私は 自分の過去において 嫌いだったひとのことを

許そうと思った。

 

嫌いな人の、嫌いな部分は 自分にもある

と見てみると

 

私も ある人のここが好かん と思う部分が

あるけど、それはよくよくみてみれば

裏返せば

それって好きなとこじゃないのかな?

 

気づいてしまった。

 

こうなりたい、あこがれでもある。

 

好きなように、言いたい放題言っているように見える。

 

好きなように、したい放題しているように見える。

 

それって、

私が言いたいことを言えなくて

私がしたいことをできなくて

それで 腹が立ってるだけやないのか?

 

自分がしたいことを

相手がしているから、

 

本当のところは

そこが気に入らんかっただけやないのか?

 

そこまで気がついたら、

とりあえず

私も自分のきらいだと思う人のきらいな部分を

そのままで 受け入れてみることにした。

 

そうすると

二つの気持ちが自分の中で起こってきた。

 

いいなぁ、というのと

いや、好かんわ、というのと。

 

それをそのままにしておいたら

半熟卵のようになって

本質のわたしが ぺろりと食べてしまった

ような イメージがわいた。

 

面白い。

 

どっちつかずのものも それはそれでいい。

 

嫌いと思うものを受け入れだしたら

書く文章も変わってきたかのような??

 

しばらく様子をみてみよう。